ガラビ壕




観光地として有名な、玉泉洞大王国村のすぐ近くに、ガラビ壕という自然壕が口を開けています。
ここは、第24師団山部隊の第1野戦病院として使われていた壕です。
病院には、白梅部隊の女子学生が、看護婦として配属されていました。
壕は、全長約500メートル。収容人員は、1000名ともいわれています。
戦況の悪化などにともない、前線の後方に位置するこの壕が重要な役割を持つようになります。

しかし6月3日、米軍の侵攻に伴い他の病院壕と同じように撤退命令が下りました。
重傷患者500名に青酸カリの注射を施し、死にきれない者を銃剣や軍刀で突き刺す「処置」が行われます。
壕内には、今でも兵士たちの骨片が散乱し、遺体の跡が黒いシミとなって地面に残っています。

港川から玉泉洞へと向かう道路からわずかに入った農道に、目印となる破風墓があります。
破風墓の脇を抜け、木立がうっそうと茂った奥に進むと、石積みのトーチカが見えてきます。
トーチカには銃眼があり、50年以上たった今でも、侵入者をじっと見据えているようです。
壕入り口は、巨大な口を広げていますが、起伏が激しく注意が必要です。
壕内に入ると、右側に数基のかまどがあり、当時の炊事場の跡が見て取れます。
反対側に通り抜けることもでき、反対側の壕口はヌヌマチガマと呼ばれています。
ヌヌマチガマ側には、手術室が置かれており、白梅学徒看護隊の碑が建てられています。
(壕内の通り抜けは、落盤の危険があるので現在はできません)


   
トーチカは簡単な石積みであるが、当時の様子を今でもしっかりと伝えています。(写真左)
壕内は広く、たくさんの見学者が訪れることもありました。(写真右)



ガラビ壕は、先史時代の遺跡や風葬の跡もあり史跡としての価値も高いといわれています。
写真は、風葬の跡です。数体の人骨とそれを入れていた瓶の破片が見て取れます。


      

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