国吉・真栄里付近



バックナー司令戦死の碑

1945年6月18日、米軍司令官バックナー中将は国吉・真栄里付近を視察中でした。
部下とともに前線を歩くバックナー中将を、突然銃弾が襲いました。
バックナー中将は即死。米国軍はどよめき立ちました。
翌日から米国軍は、日本兵・民間人の差別無く報復殺戮を行います。
その様子は、流れ出した血をモップで拭くような凄まじい掃討戦だったといいます。

この攻撃により、国吉・真栄里一帯では、多数の一家全滅家族が生じました。
今でも、このあたりには、住む人のいない家が残っています。




山形の塔

バックナー司令戦死の碑のすぐ先に、白梅の塔や山形の塔があります。
白梅の塔は、第二高女の看護隊が玉砕した場所として有名です。
また、山形の塔の下に開いた小さな壕には山部隊の敗残兵が隠れ、
夜な夜な略奪や切り込みに出かけていたといわれています。

   
山部隊の隠れていた壕と眞山の塔

壕の入り口は施錠されており、現在はいることはできません。
以前は中に入ると軍靴の底の皮の部分や、兵士が使用していた用品等が散乱していました。
また、壕には横穴があり、そこに戦死した兵の遺体を隠していたということですが、
戦後埋まってしまったようで、いまだに発見されていないと聞きます。


      

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