白梅をめぐる戦跡たち


学徒看護隊といえば、ひめゆり部隊が有名です。
ひめゆり部隊は、第一高等女子と女子師範学校の学生による部隊であり、
戦後、何度か映画化されているため、
沖縄戦に興味がない人にもかなりの知名度といえるでしょう。
しかし、学徒看護隊は、ひめゆり部隊だけではありません。

県立第二高等女子の生徒56名で構成された学徒看護隊を「白梅女子看護隊」と呼びます。
彼女たちはは、ひめゆり部隊の召集に先立つこと20日あまり前の3月6日、
八重瀬岳にある第24師団(山部隊)の野戦病院に召集されました。

学徒看護隊の主な仕事は、患者の世話、水くみ、食事の運搬などでした。
勤務は3交代制でしたが、戦火が激しくなるにつれ、24時間体制へと変わっていきました。

6月3日、山部隊は南部への撤退を決行。
新城分院・東風平分院では、500名以上の患者への「処置」が行われたそうです。
「処置」とは、薬品や手榴弾などによって動けない患者を殺すことを意味します。
こうしたむごい作業も、女子看護隊の仕事でした。

山部隊の撤退とともに、6月4日には白梅隊にも解散命令が下されました。
女子学生たちは軍と行動をともにしたいと願いましたが、
すでに山部隊には、傷病者や看護学生たちを保護する余力はなかったのです。

軍から見捨てられ、戦場をさまよう中、女子学生の中から次々と犠牲者が出ました。
戦争が終わったとき、白梅看護隊56名のうち22名が還らぬ人となっていました。


   
白梅の塔の脇には、米軍に追いつめられた女学生たちが玉砕したという「自決之壕」があります。
ここで玉砕した女子学生は、解散命令のあと再び山部隊に戻った16名のうち10名といわれています。


      

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